かつおと昆布の東西だし対決はどのように始まったのか

日本食のだしのうまみは、世界的に有名になりましたね。
なにしろうまみの成分のほとんどは日本で発見されるほど、日本人は
味やうまみに敏感な国民なのです。

高級なだしを取るのは、かつおと昆布の両方だと思っていましたが、
もともとは関東はかつおだし、関西はこんぶだしだったのだそうです

そんなことを今朝のヤフーニュース(【誰かに教えたくなる話】東と西
の出汁対決 「かつおvs昆布」にまつわる意外な話 TOKYO FM+ 9月24日
(木)11時30分配信 ) で知って、なぜそういうことになったのか東西のだし
の紀元などを調べてみました。

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◆かつおぶしの歴史

日本では古墳時代からすでに「干しカツオ」と
「堅魚煎汁:カタウオイロリ」 が使われていました。

干しカツオは、カツオを素干にしたもの(堅魚:カタウオ)と、
煮てから干したもの(煮堅魚:ニカタウオ)がありました。

堅魚煎汁は、煮堅魚の煮汁を煮詰めて作ったもので、調味料として
使われて いました。

❖奈良時代
701年の大宝律令では堅魚、煮堅魚、堅魚煎汁が重要納品として指定
され、 税金 として納められていました。

❖平安時代
税金が地方に割り当てられました。

堅魚は、伊豆,駿河,志摩,相模,安房,紀伊,阿波,土佐,豊後,日向から
煮堅魚は、駿河から
堅魚煎汁は、駿河、伊勢から 納められたのでした。

❖鎌倉時代
厨事類記類記に堅魚と堅魚煎汁の料理が記載されていて、堅魚煎汁が
もっとも 重要視 されていたようでです。

❖室町時代
干しかつおに「焙乾:ばいかん」という技術が導入され「鰹節」の前身
ができました。
焙乾(ばいかん)とは堅魚をいぶして乾燥させることです。

❖江戸時代

江戸時代に入ると紀州印南浦のカツオ漁民の角屋甚太郎が従来のいぶし
堅魚 に鰹節カビ を付けることで悪いカビがつかないようにする改良節を
考案し 「熊野節」と呼ばれて広まります。

その後江戸後期には、やはり紀州の土佐与一が安房(あわ)と伊豆(いず)
の両国に「 改良土佐節」を紹介、それがまた改良されて「伊豆節」、
さらに 薩摩に伝えられて 「薩摩節」に発展します。

江戸時代には堅魚から鰹節(かつおぶし)と呼ばれるようになりましたが
そのわけは、戦国時代に保存兵糧として珍重がられたことから、
「勝男」「武士」 を結んだ「勝男武士」から鰹節にしたという説も
あるようです。

❖明治時代
土佐節と伊豆節の長所を取り入れた「焼津節」が登場し、これが
以後鰹節業界の本流となって現在に至っているそうです。

❖鰹節の流通

かつおだしは東(江戸)と言いますから西(大阪)には広まらなかった
のか と思いました が、なんと、生産地は関西なのですから、まずは大阪
まで運ぶ ために工夫したのが、 悪いカビがつかないように優良なカビを
付けるという 手法でした。

大阪までは一回だけカビをつける荒節で大丈夫でしたが、江戸までは遠く、
海路で 長時間かかるために一回だけ優良カビを付けるのでは、
足りないのです。

それで何回もカビ付けをするうちに、鰹節が水分も抜け、美味しくなる
ことがわかり それは本節と呼ばれ、東西の味を分けたのだそうです。

ということは関東の鰹節の方が当時は美味しかったということでしょうか。

かつおだしは大阪(関西)でも昔から使われていたのです。それなのに
どうして
関西はこんぶだし、関東はかつおぶしを言われるようになったのでしょう。

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◆昆布の歴史

昆布は鎌倉中期以降に、蝦夷地(えぞち)と呼ばれた北海道の松前から
運ばれる ようになり、庶民の口に入るようになったそうです。

江戸時代には、北海道開発が進み、昆布の生産量が増えたために、
17世紀後半、江戸の商人河村瑞賢によって、日本海を北海道、酒田から
下関を通り、 大坂を経由して江戸へ向かう西廻り航路が確立され、
北前船の航路が伸びました。

それにより北海道から昆布をはじめとする海産物が京都・大坂へと
運ばれ、 さらに 江戸へも運ばれるようになりました。

この航路は現在「昆布ロード」と呼ばれています。

「昆布ロード」は九州、琉球(沖縄県)まで広がり昆布だしも広まった
のです。

◆関東では鰹節、関西では昆布が使われた理由3つ

1.昆布の流通経路の影響
昆布は北前船で北海道から大阪に先に運ばれますから、まず上質な昆布
から 大阪で売れて、大阪で売れ残ったのが江戸に運ばれたために、関東
では関西ほど 昆布だしが発達しなかった。

2.東西の水質の違いの影響
関西の水は軟水で昆布だしを引き出すのに適しているが、関東の水は硬水
なので 昆布だしが出にくいので発達しなかった。

3.鰹節の味の影響
関東に運ばれた本節の味が関西に届いた荒節より美味しかった。

などが考えられますが、どちらも、鰹節も昆布も流通していたのに別れた
のは やはり味の違いのような気がします。

◆まとめ

管理人の元気ナースは、関東では鰹節が美味しくて、関西では昆布が美味し
かったから、関東はかつおだし、関西は昆布だしになったのだと思いますが、
あなたはどう思われますか。

日本人は本当に美味しいものが好きなんですね。

ちなみに 日本での、うまみの成分の発見は

1908年、池田菊苗博士が昆布のうま味・グルタミン酸を発見。
1913年 小玉新太郎が鰹節のうま味・イノシン酸を発見。
1956年 国中明が干しシイタケのうま味・グアニル酸(核酸)を発見。
したのでした。さすが日本ですね。

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